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教会を造る人たち

前回書いた記事にコメントがあり、ちょっぴりうれしいです。「教会に生きる幸いを確認しました」なんて、嬉しいメッセージもありました。

本当に、そうなんです。教会に生きる幸い、ってあるんですよ。

日本においては、キリスト教というのは、まだまだ「異教」であり、「外国の宗教」でしょう。だから、教会に生きる幸いなんていうのは、あまり知られていないことだと思います。

たとえば、最近こんなことがありました。

つい最近まで教会学校に来ていた小学生の女の子が、お母さんに「うちはキリスト教じゃないから、もう上の学年になったら教会に行っちゃだめ」と言われ、4月からは、ぱったりと来なくなりました。

彼女とそのお友達は、毎週のように楽しく日曜日に教会に遊びに(?)来ていましたが、本当に、ぱったりと来なくなりました。淋しくもあり、残念でもありますが、実際にこのようなことはよくあります。

そんな時、思うのは、子どもたちが、成長して大人になった時、教会のどんな記憶が残るのだろうか、ということです。いつまでも残るものは、なんなのか―

プロテスタント教会でもっとも重視されている、聖書の言葉、聖書の言葉の説き明かし=説教ですが、おそらく、きっと子どもの頭の中にはほとんど残らないだろうな・・・と思います。

教会で楽しく遊んだこととか、一緒にお昼ご飯を食べたこととか・・・楽しい思い出がひとつでも残ってくれたらいいなあ、と思います。もちろん、お祈りの言葉や聖書の言葉を覚えていてくれたらいいな、と思いますが。

自分のことを考えてみてもそうですが、20代の頃、教会の礼拝で聴いた説教・・・正直、そんなに覚えていません。そりゃ、いくつかは覚えていますよ。また、それらが自分の人生において、決定的な意味をもった言葉になったということも否定はしません。

むしろ、自分の記憶に残っている大切なもうひとつの流れは、人です。教会に連なっている人々の姿です。

私が集っていた教会の礼拝には、毎週80人くらいの人がいつも集まっていましたが、しばらく通うようになると、良く声をかけてくれる人、親しくなる人、印象に残る人たちが出てきました。

教会学校の先生だったり、教会の役員さんだったり、その奥さんだったり、遠くから教会に通ってくる私に昼ごはんをご馳走してくれる気前のよい人だったり、礼拝で特別な日に讃美歌を歌う人だったり、もう間もなく結婚するという人だったり、病院に入院しながらも洗礼を受けたいといって病院で洗礼を受ける人など・・・

いろんな人に出会いました。こういう人たちは、言ってみれば、みんな信仰によって生きた人たちでした。

信仰によって、普通なら寝ていたい日曜日の朝早くから教会に来て,子どもたちに聖書のお話しをしたり、遊んだりし、

同じ信仰によって、人々に仕えて奉仕をして、

同じ信仰によって、遠くから来る私にご飯をご馳走し、

同じ信仰によって、神様に歌い、

同じ信仰によって、教会で結婚し、教会で洗礼を受け、息を引き取っていった人たちでした。

それを見ながら、信仰によって生きるというのはどういうことかを教えて頂きました。

平凡な表現ではありますが、どの人も私にとっては、とても素敵に見えました。言葉だけではなくて、その存在すべてが何かを語り、教えてくれるのです。

キリスト教会は、けっこうそれを大切にしている人たちが多いのではないかな、と思います。

ある時、ひとりの女性の方がこんなことを教えてくれました。その方のご主人は信仰をお持ちではないので、ひとりで教会の礼拝に来ておられる方でした。彼女が、自分が一番好きな聖書の言葉(自分が旨とする)のは、聖書のこの言葉だと教えてくれました。

 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。

それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

ペテロの手紙第一3章1―4節

服従するなんてことを大切にする人は、そう多くはないと思います。この方は、無言のふるまいと柔和で穏やかな精神性を大切にして生きたい、そう願っておられるのです。

職場や学校では、無言のふるまいでは、「自己主張がない」「アッピール性がない」ということで、損をするか、評価されることが少ないと思いますが、身近にいる人や友達になるなら、ぜったい、こういう人がよいと思います。

特に、男性の皆さん!嫁さんにするなら、こういう人がいいのではないでしょうか?

まあ、話しを元にもどして・・・教会を造っている人は、信仰をもつ、実に様々な人たちです。本当に色々なことを教えられるものです。