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受難週に―十字架で死ぬことを目的となさったご生涯を想う

喜びに支えられて山を登る人生

2016年10月に逝去されました、登山家の田部井淳子さん。

世界で初めて女性でエベレスト登頂に成功された方です。

実は、私、田部井さんと近所というほどではないですが、同じ市内に住んでまして、小学生の頃は、同じピアノ教室に通っていました。

私の記憶が正しければ、発表会で、ショパンの「雨だれ」を弾いておられたと思います。

田部井さんはエベレスト登頂に成功した地域の有名人でしたので、私が通う小学校でも講演会が開かれて、お話に来てくださいました。

目標を目指して一歩一歩進めば必ず山頂にたどり着く― 続きを読む

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人知をはるかに超えた救い

受難週

今日からキリスト教会の暦では、受難週と呼ばれます。

受難週というのは、主イエス・キリストが、地上ですごされた最後の一週間のことで、

十字架にかかられ、墓に葬られた日までのことです。

信仰者は、主イエスの受けられた苦しみに心を向けようと祈りに時間を割き、聖書の言葉を黙想します。

ある人は、断食をします。

美容ダイエットのためにではなくて、祈りに集中するために、食事をしないのです。

断食をすると分かることは、 続きを読む

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ぼっち・・・孤独で悩んでおられる方へ(2)友情はどこで育つのか?

先日、「私には友達がいない」というお便りを頂きました。

「そうですね、友達と言うのはいるようでいて、なかなかいないものですね」と答えました。

私は常々、友は神から与えられる宝のようなものだと言っています。

それほど、友達は貴重な存在です。 続きを読む

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ぼっち・・・孤独で悩んでおられる方へ

東日本大震災から6年が経ちました。

いまだ復興の途中、福島原発は問題が山積―

避難生活を続けている方々の生活が今日も支えられるように、希望を抱いて生きることができますように、と祈るばかりです。

あの日以来、「絆」と言うことが声高に叫ばれるようになりました。

家族の絆、地域の絆、日本人としての絆。

しかし、声高に叫ばれる「絆」とは裏腹に、実際は、あまりに「孤独」ではないでしょうか?

つい最近、身近なところで起こったことです。

職場にぱったり来なくなった人がいました。

その職場では、無断欠勤したり、何の予告もなく突然職場に来なくなり、いつの間にか辞めてしまうという人がけっこういるそうで、「ああ,あの子もまたか・・・」と言う感じで、受け止められていたそうです。 続きを読む

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こころのアンチエイジング=感動すること

ヨガ教室で

先日、例のヨガ教室に行きましたら、(ブーティバーではないクラスですが…)

先生が、自分のヨガポーズを自撮りしてました。

よくFaceBookやInstagramで、ヨガポーズをアップされてる方がおられますよね。

逆立ちしてたり、手だけで体重支えて、腰は地面から浮いていたり、体がぺったりふたつ折れになっていたり・・・あれです、あれ、あれ。

自撮りするということは、タイマーかけて、数秒以内に定位置について、そしてあの困難なポーズを決める!と言うことです。

これは、かなりの修練を積まないとできないことです。

先生がしてたのは、「孔雀の羽のポーズ」とかいう上級者にしかできないポーズでしたので、余計に「こりゃすごい!」って感動しました。

毎日、1枚ずつアップしているそうです。いよいよ、すごいと思いました。

「先生、私撮りましょうか?」って言ったら、じゃあお願いします、っていうことで、一枚だけ撮りました。

自分で撮るより、やっぱり撮ってもらった方がうまく撮れる、と仰って下さいましたが、私の写真撮影の技術はいかがなものでしょうか。

感動がありますか?

さて、最近、みなさんはどんなことに感動しましたしか?また、涙を流しましたか?

そういえば、ここ暫く、涙なんか流していないなあ、と言う人もおられるのではないでしょうか。

年をとると、どうも涙が流れにくくなるようです。

私も、小さい頃は泣き虫で、よく泣いていた記憶があります。

でも、大人になると、自然にあまり泣かなくなりました。

よく言えば、成長して落ち着くということでしょう。

でも、言い換えれば、心は強く固くなり、ちょっとしたことでは、心が動かなくなるということです。

年を経て、様々な経験と知識が豊かになればなるほど、すでに知っていること、すでに体験したことが増えて、新しいことではなくなりますから、人生の新鮮さは減ってしまうということでしょう。

また、経験を積んで自分が優れていると決め込んでいる人は、他者のすごいところを見落としがちになるので、感動する機会を失いがちです。

驚きもないし、疑問に思うこともない。

感動のない生活――それは、つまらない生活です。

いちいちきゃーきゃーいわれるのは確かに面倒だし、会議とか議論で反対されたからといって、いちいち泣かれたすればそれは困りますけど、喜んだり涙を流したりする体験というのは、とっても人間らしい大切なことだと思います。

神さまも泣かれました

主イエスは、友人ラザロの死に際して、墓の前に立って、激しく動揺し、憤りを覚え、そして涙を流されました。

私たちの神は、動揺し、涙も流される神です。

死とは無縁の神でありながら、ひとりの人間の死に際して、その惨さと悲しみを受け止めて、涙を流されたのです。

また、神が本当に死ぬべき人間に深い憐れみを寄せておられたからに他なりません。

そして、我々人間よりも死の正体を知り、死の恐ろしさを感じ、理解していたのではないでしょうか。

我々人間のほうが、死に対して鈍感なのです。

鈍くなることをそのまま放置しない方がいいな、と思います。

感動することは、いわば、心のアンチエイジングとでも言うべきものでしょうか。

外面上のことを気にして、アンチエイジング対策をされる方はとっても多いです。

内面のアンチエイジングはいかがでしょうか。

心のみずみじしさ、しなやかさ、やわらかさ…を保つ練習も必要かな?

日常生活の中にある、小さな驚きを見つける心のアンチエイジング

Let’ start!

 

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めあて無しに歩くこと

今日、教会学校の礼拝で、「目隠しで歩いて、話し手が立つ位置のところに立ちましょう」という課題をやってみました。

スタートからゴールの地点までは約10メートル。

途中、アコーディオンカーテンで仕切られていて、通り口が狭くなったところもあります。

さて、うまくたどり着くことができるでしょうか。

何にもぶつからないで、目的地点にたどり着くことができたという人はいませんでした。

当たり前といえば当たり前のことですが、目標がはっきり分かっているからこそ、すたすたと、そこに歩いていくことができるのです。

ある人は、アコーディオンカーテンのしきりにぶつかってしまって、

「これはいかん!」と方向修正をしようとしましたが、

上手くいかず、いよいよ的外れな方向に向かって歩き出してしまいました。

自分のカンと経験で方向修正をしようと試みますが、目当てが見えないとなかなか上手くいきませんでした。

ある人は、歩き始めて、途中でとっても暗く感じて怖くなった、と言っていました。

目をつぶって目隠しをしているのですから、最初から暗やみに包まれてのスタートです。

それでも、途中で闇が濃くなるような恐怖を感じるというのは、興味深いことです。

めあてが見えないままで、歩くというのは、危く不安を呼び起こすことであるということです。

これは、実際に体験してみるとよく分かることです。

そして、これは実験的に目を瞑って歩くと言うことに限定されない真理だと思います。

私たちの人生そのものに置き換えてもいいと思うのです。

人生のめあて・目的が分からないと、そこを常に見つめていないと、人生はどんどんずれていってしまう、

行くべきところを見定めることができないと、的外れな生き方をしてしまう――

このような人間の習性を、聖書は「罪」とよんでいます。

新約聖書はギリシヤ語で書かれていますが、ギリシヤ語で罪というのは、「的外れ」と言う意味です。

何か、あくどいことをするとか、意地汚いとか、他者に迷惑をかける…そのような意味ではないのです。

私たちの目が、見えいているようで、見えていない。

的外れな生活をしていしまう、それが罪だ。

含蓄のある言葉です。

主イエスは地上におられた時、多くの人々の病苦をいやし、多くの盲人を見えるようにされました。

そして、仰いました。

「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」

すると、自分たちはちゃんと見えていると思っている人たちが、主イエスに向かって言いました。

「私たちも盲目なのですか?」

主イエスのお答えは厳しいものでした、「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。だから、あなたがたの罪は残るのです。」

目をあけて、人生の目的がはっきり見えるようにするために、主イエスは私たちのところに光を携えて来た、と言っています。

このご厚意を、強情に拒むことなく、受取りたいと思います。

どうか、目に光を受け、人生の目的をはっきりと知ることができますように。

 

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貧困で苦しんでおられる方へ

お正月に何かと出費が多く、苦しい家計のやりくりをしている…やまだです。

厳しい。とにかく、家計が厳しい…と言っておられる人は、私だけではないでしょう。

地球上の100人のうち90人はそうなんです。

タイトルの「貧困で…」というのは、私自身へのメッセージでもあるんです。 続きを読む