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9月1日に学校へ行きたくない君へ

夏休みもそろそろ終わりですね。
「宿題、終わった?」が挨拶代わりの、今日この頃。
2学期のスタートを目の前にして、心が重い人がきっといるはず。
そんな、君のことを考えながら、書いています。

学校に行くことを考えただけで、気持ちが悪くなる・・・なんて人もいるかもしれない。
そう、1学期に失敗して恥をかいたとか、嫌なことがあったとか、友だちから無視されていたとか、気まずかったとか、または、いじめられたとか・・・。
そんな場合には、絶対に、気が重いにちがいない。

教会学校に来ている小学生や中学生に、「学校、楽しい?」って尋ねるんだけど、
「楽しい!」って言う人は、うーん、あんまりいないなぁ。
7割くらいの人が、「やだー」とか「きらーい」とか「いきたくなーい」っていいます。
親でもない、先生でもない、ただの近所のおばちゃんの軽い質問に対する答えだから、たぶん、素直な答えだと思っています。
その理由は、様々だと思うし、そんなに深く考えてはいないと思うんだけれど、まあ、「毎日、夏休みの方がいい」というところかな。
それでも、やっぱり、学校に行けば、久しぶりに会える友達がいるし、新しく授業で教わる事が楽しいとおもうときもあるし・・・ということで、とりあえず、みんな学校へは行っているね。

でも、中には、どうしたって,学校に行くことに何の喜びも楽しみも見出せない、学校は自分にとって地獄のようなところだ、と思う人がいるでしょう。
親は「学校に行け」としか言わないし、自分としても「いかなくっちゃ・・・」と思う。するといよいよ苦しくなって、気持ちが悪くなってくる。
自分にとって、どうせ、学校=地獄なんだから、もういっそ死んでしまおう!
そこまで、思い詰めている人だって、本当にあると思う。
このブログへたどり着いたということは、そういうことなんだと思う。

そう、9月1日は、気が重い日なんだ。

昨日、ちょっとしたことで小学校に行って、先生と話しをする機会がありました。
小学校の先生も、ちょっと顔を曇らせて、「9月1日、(みんなが元気に登校してくれるか)心配なんです」そんなことを話していました。
小学校の先生たちも、そういう君のことを、心配しているんだよ。

9月1日に学校へ行きたくない、行くくらいだったら死んだ方がまし・・・
と思いつめているあなたに、私が伝えたいのは、「ぜったいに、死なないで!」と言うことです。
「死ぬという選択肢」を選ぶくらいなら、
「学校へ行かないという選択肢」を選んだらいい。
人生はまだまだ先があるんだ。これからが本番と言ってもいい。
人生には、色々な選択肢があるのです。

学校というのは、児童・生徒である人にとっては、ほぼ、すべてだと思いますが、年齢を重ねて社会に出てみると、学校というのは、ひとつの通過点のようなものだったことに気づきます。
学校は、すべてではない。
死ぬくらいなら「行かない」という選択肢を選んだらいいんだ。
そうすれば、まだまだ、続けられるのだから。
あなたはかけがえのない存在なんだ!

学校でいじめられて、耐えられなくなって、ついに飛び込んでしまった・・・という高校生がいました。本当に身近なところで起こったことで、言い表せないほどのショックでした。
今でも、ご両親や親戚のみんなが泣いています。「どうして、気づいてあげられなかったのか」と自責の念で苦しみ、悲しんでいます。
生きていてくれたら・・・

だから、今、同じような思いでいる苦しんでいるあなたに、メッセージを送らなくっちゃ・・・と思って書きました。
「ぜったいに、死なないで!」

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人生、自分が望まないことをする時間はない!

山の日っていうのが出来たんですね。
夏休み中なので、あまりインパクトがない休日ですが、でも、ある人たちにとっては忘れられない日に違いありません。
御巣鷹山に日航機が墜落したというのが、山の日の原点にあるからです。
日航機墜落事件の記憶はだんだん薄れつつありますが、私にとっては別のからみで記憶に残る日となっています。
やはり、人の命とからんで。

私の祖父はこの日、危篤になって、その年の8月15日になくなりました。
「じいちゃんが危ないんだって!」という知らせが入って、父とは母、即刻病院に行きました。その直後、見ていたテレビ放送が中断されて突然テレビ番組がすべて変更になって、御巣鷹山に飛行機が墜落裂いたらしい、という知らせが入ってきました。
他人事とは思えぬ、大惨事でした。
時々刻々と伝えられる惨事の様子に恐怖を覚えました。

ですから、この山の日または旧盆が近づいて、御巣鷹山の飛行機事件のことが報道されるたびに、この時のこと、そして祖父のことを思い出すのです。

私の祖父は小学校の校長をしていました。けれども、今で言う早期退職をしました。
今ではリストラとか、いろいろな事情で早く退職をするという人もおられますが、当時ではとても珍しかったそうです。
なんで、早くに学校を辞めたかというと、絵を描きたかったからなんです。

祖父は「雪嶺」という名で絵を描いていました。
小学校の教科書では「世界一の豪雪地帯」と紹介されるところに住んでいましたので、「雪」の名を入れてもちっともおかしくはないのですが、この「雪」は、日本画家(水墨画家)の「雪舟」にちなんで付けたもののようです。

雪舟は、室町時代の人ですが、子どもの頃、寺の小僧をしておりました。
しかし、お経はちっとも覚えず、絵を描いて遊んでばかりいました。
それを見かねた僧侶は雪舟に、「今後、一切、絵を描いてはならぬ」ときつく言い渡しました。
けれども、雪舟は絵を描くことを止めることが出来ませんでした。
とうとう僧侶は、お仕置きとして、本道の柱に雪舟を縛り付けました。
雪舟は悲しくて、涙を落としましたが、思わずその涙を足の指につけて、ねずみの絵を描いてしまったというのです。
そして、このねずみの絵は素晴らしい出来栄えで、本物のネズミと見間違うほどのものでした。
それ以来、僧侶は雪舟が絵を描いても何もいわなくなったそうです。

この雪舟にあやかって、絵を描くことに集中するために、小学校の先生を辞めたらしい・・・のです。

祖父の描いた絵は今もたくさん残っていて、実家の床の間に飾ってあったりします。
そんな絵を眺めていると「人生は短いのだぞ、好きなことをして生きろ」と語りかけられているような気がするのです。
人生って、本当に短い時間ですね。それも、いつ終わるかわかりません。
乗っていた飛行機が突然墜落して・・・なんてことも考えられないことではありません。

好きなことだけして、遊んで暮らせる―などと甘ったれた考えを提唱しているわけではありません。
人に頼まれたことや、キライなことばかりして、そして、それを環境や人のせいにして、
自分が願ったことがひとつも出来なかったというのは、残念なことです。

10年後、「あんなことして失敗したなあ・・・」と思うより、
「あれをやっておけばよかったなあ」と思って悔いることの方が多いのではないか、と思います。
悔いのない日々を、私も!

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教えてもらう幸い

実感:教えてもらうってありがたい

50の手習いなんて申しますが、最近、また、まったく新しいことを始めました。

右も左も、まったく分かりません。いくつになっても、分からないことというのはあるものだなあ・・・と思いましたが、さっぱり分かりません。

あまりに分からないので、ちょっと、知り合いの方に「家庭教師」になって頂きました。

そうしたら、わかること、分かること、理解ること・・・。

今までは自己流でやっていたので、着眼点も間違っていました。自分が気にしていたことは些細などうでもいいことで、他にきちんとしなければならない重要なことがあったり、手本とすべきものがちがっていたり・・・。

この年になってですが、教えてもらえることのありがたさ、きちんとした情報を共有することの大切さを改めて体験しました。

現在は情報過多な時代ですが、情報弱者なんて言葉もありまして、有益な情報をキャッチできない人たちは、生きていくうえで、不利になるということがいくらでもあります。

要するに、知らないと損をする、ということです。

これは皆さん知っていると思いますが、社会保険料は給料から天引きされて、年金を積み立てていきます。けれども、これは、一定の年齢に達したからといって、自動的に支給されるわけではありません。社会保険庁に請求しないと、年金は支払われないようになっています!なんで?と言いたいですが。

「知らないと損!」というコラムがあるくらいですよ(東洋経済オンライン)。読むと「へーっ!」というようなことばかりです。経済活動(お金のことを含み!)生きていく上で役立つ情報はたくさんあります。

人間はよい情報を共有することで生きる生き物!?

私たち人間は、生きていくために必要な情報というのを常に必要としています。

これは仮説ですが、人間は原始の頃から有益な情報を共有することによって生き延びてきた、というのです。

人類の歴史は飢餓との戦いの歴史でもありました。

定住して農耕文明が発達するまでは、自然に生えている物を収獲することによって生きていました。それがなくなってしまうと、たちまち飢餓に見舞われるわけです。そんな時、旅人が通りかかり、「あっちの方にはまだ木の実がなっている。肥沃な土地がある」と教えてくれる人があったとします。

その情報を頼りに、人は移動し、食べ物にありつき生き延びることが出来た・・というのです。

この仮説の前提は、人間はよいものを共有することで生きてきた、という興味深い趣旨です。

ふむふむ、なるほどなあ、と思います。また、そう信じたいですね。

旅人はその部落の人たちを全滅させようとして、嘘っぱちの情報を携えてきた悪人である、なんてことをいちいち疑って生きていくのは大変しんどいことです。けれども、現実には、このインターネット上に流れている情報も、いつだって、本当であるか、嘘であるか、吟味しなければならないです。

教えてもらう幸いというのは、確かに存在します

教えてもらうことで、確かに私たちの人生は豊かにされます。

私が教会に通うのも、いろいろと教えてもらえることがあるからです。なんと言っても教会で教えられるのは、罪と死についての克服でしたが、死に関することだけではありません。教会では、生きることも教えられます。

教会に集うようになって、もう四半世紀が過ぎていますが、本当に色々と教えられます。今は、一応、教師と言う立場ですので、教える立場にあるわけですが、それでも、周りの人から教えていただくことは多いです。

教会のひとつの特徴は、全世代の人がいる、と言うことです。生まれたばかりの赤ちゃんや小学生、青年、お母さん、お父さん、会社経営者の人、雇われる人、自営業の人、第一次産業従事者の人・・・お年寄り、病院や施設で死を迎えようとしている人まで、実に様々な境遇の人たちが集います。

私が今いる教会はとても小さい人数の集まりですが、それでも確かに全世代の人間がそろっていますね。

様々な人が、ひとつの共同体を造るというのが教会のひとつの特長でしょう。考えてみるとそういう共同体はなかなかないです。社会というのは、どうしても輪切りにされるところです。

同じ学力の人、同程度の能力の人、会社の部署に行けば、同じ仕事をする仲間・・・という具合に、何かしら共通点があるものです。しかし!教会と言うところは、実に変わっております。ただ一つの共通点は、神に召された者の集まり、イエスを救い主と仰ぐ者の集まり、ということです。あまりに大きなくくりですから、さまざまな人がおられます。

そのような教会に集う様々な人たちを見つめながら、「結婚ってこういうものなのかなあ」とか「ああ、私も50歳になったら、こんなおばさんになるんだなあ、」とか「こういう人になりたいなあ」とか、「病気で闘病生活をするって、本当にたいへんだなあ」とか、自然に先輩たちから、教えてもらってきました。人生の見通しとでも言うものが示され、教えてもらってきました。

今は、もういい年になってきましたので、「私に倣う者となりなさい!(コリント人への手紙第一4章16節)」と言えるような人間像が出来上がっていなければいけない年になってしまいましたが・・・。

教えてもらわなければ・・・と思っていることは何でしょうか?それが見つかるとよいですね!

 

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はじめて知った、出生の謎。

今日、誕生日の山田です。

エープリルフールだから、かつごうって・・・。

いえいえ、本当です。私、4月1日生まれなんです。

小学生の時、「4月1日、私の誕生会するから来てね」っていったら、冗談だと思って来てくれなかったお友達がいましたね。

けっこう、淋しい思いをしました。

それから、4月1日生れって、早生まれだということをご存知ですか?

つまり、前の学年に含まれて、その学年では最後尾になる、ということです。

ふつう、学校の年度は4月1日から3月31日までとなっているのに、なぜ、4月1日が前の学年に含まれるのか?

「あなた、下の学年じゃないの?」とも言われ、これまた淋しい思いもしました。

やっぱり、学年のいちばん後ろですから、はみご的・出来は極めて悪かったにちがいないんです。

同じ学年の4月や5月生まれのお友達は、ほとんど1歳ちがいますから、エリートに見えましたね。

あかねちゃんとか、おおやぎちずるちゃんとか、みずのくんとか。未だに覚えている。

小学生の低学年のころは、何もかもがちんぷんかんぷんでした。

自分でも、なんで、4月1日が早生まれで前の学年に含まれるのか、今まで分からずに生きてきましたが、

今日!この謎が解けました。「はじめて知った出生のなぞ」とは、このことです。

学校教育法によると、「小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」と規定されています。

そして、入学年齢は、満6歳と定められています。

「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。」

ちょっと分かりにくいですが、言い換えると、満6歳になってから、最初にやってくる4月1日に、小学校に上がるということです。

4月1日生まれの私は、満6歳になるのは、3月31日の午後12時です。

1秒後には4月1日になりますが、最初にやってきた4月1日ですから、小学校に入学、ということになります。

この情報は、Googleさんからの誕生日プレゼントでした。ありがとう!

初めて知りました。

よい年輪を重ねたい

ふり返ってみると、小学校は本当にキライでしたね。何が何だか分からないし、何をやっても人よりも遅いし、できないし・・・。

もうひとつ前段階の幼稚園なんて、最悪でした。よく「行きたくない」って泣いていた記憶があります。

それでも、いつの間にかそんなハンディも乗れ超えられたようで、気がつけばこんな年になってしまいました。

Facebookで、たくさんの方から誕生日のお祝いのお言葉を頂きました。

「良い年を、良い年輪を重ねて行きたいです」と言う会話がしきりと交わされました。

私たちくらいの年になると、痛切に感じます。今日過ごす一日が一生を形づくるものと成るのだ、ということ。

成長著しい花形の日、順風満帆の日があるでしょう。

一方で、何をやっても苦しく物事がうまく進まない試練の日もあるでしょう。

でもそれは、木の年輪のように、私たちの人生を強固にそして美しく形成していくのだということです。

成長していないと思われる冬季には、木の硬い部分がつくられます。そこでこそ強さを増すのです。

そして、どんどんと成長する春から夏にかけては、木の容量が増します。

どちらも無駄になることはないのです。どの日もよい日であるということです。

一日たりとも無駄で不要な日はありません。

今日もこの一日、よい日を過ごしたいと思います。

いのち与えられていることに感謝して。

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こころのアンチエイジング=感動すること

ヨガ教室で

先日、例のヨガ教室に行きましたら、(ブーティバーではないクラスですが…)

先生が、自分のヨガポーズを自撮りしてました。

よくFaceBookやInstagramで、ヨガポーズをアップされてる方がおられますよね。

逆立ちしてたり、手だけで体重支えて、腰は地面から浮いていたり、体がぺったりふたつ折れになっていたり・・・あれです、あれ、あれ。

自撮りするということは、タイマーかけて、数秒以内に定位置について、そしてあの困難なポーズを決める!と言うことです。

これは、かなりの修練を積まないとできないことです。

先生がしてたのは、「孔雀の羽のポーズ」とかいう上級者にしかできないポーズでしたので、余計に「こりゃすごい!」って感動しました。

毎日、1枚ずつアップしているそうです。いよいよ、すごいと思いました。

「先生、私撮りましょうか?」って言ったら、じゃあお願いします、っていうことで、一枚だけ撮りました。

自分で撮るより、やっぱり撮ってもらった方がうまく撮れる、と仰って下さいましたが、私の写真撮影の技術はいかがなものでしょうか。

感動がありますか?

さて、最近、みなさんはどんなことに感動しましたしか?また、涙を流しましたか?

そういえば、ここ暫く、涙なんか流していないなあ、と言う人もおられるのではないでしょうか。

年をとると、どうも涙が流れにくくなるようです。

私も、小さい頃は泣き虫で、よく泣いていた記憶があります。

でも、大人になると、自然にあまり泣かなくなりました。

よく言えば、成長して落ち着くということでしょう。

でも、言い換えれば、心は強く固くなり、ちょっとしたことでは、心が動かなくなるということです。

年を経て、様々な経験と知識が豊かになればなるほど、すでに知っていること、すでに体験したことが増えて、新しいことではなくなりますから、人生の新鮮さは減ってしまうということでしょう。

また、経験を積んで自分が優れていると決め込んでいる人は、他者のすごいところを見落としがちになるので、感動する機会を失いがちです。

驚きもないし、疑問に思うこともない。

感動のない生活――それは、つまらない生活です。

いちいちきゃーきゃーいわれるのは確かに面倒だし、会議とか議論で反対されたからといって、いちいち泣かれたすればそれは困りますけど、喜んだり涙を流したりする体験というのは、とっても人間らしい大切なことだと思います。

神さまも泣かれました

主イエスは、友人ラザロの死に際して、墓の前に立って、激しく動揺し、憤りを覚え、そして涙を流されました。

私たちの神は、動揺し、涙も流される神です。

死とは無縁の神でありながら、ひとりの人間の死に際して、その惨さと悲しみを受け止めて、涙を流されたのです。

また、神が本当に死ぬべき人間に深い憐れみを寄せておられたからに他なりません。

そして、我々人間よりも死の正体を知り、死の恐ろしさを感じ、理解していたのではないでしょうか。

我々人間のほうが、死に対して鈍感なのです。

鈍くなることをそのまま放置しない方がいいな、と思います。

感動することは、いわば、心のアンチエイジングとでも言うべきものでしょうか。

外面上のことを気にして、アンチエイジング対策をされる方はとっても多いです。

内面のアンチエイジングはいかがでしょうか。

心のみずみじしさ、しなやかさ、やわらかさ…を保つ練習も必要かな?

日常生活の中にある、小さな驚きを見つける心のアンチエイジング

Let’ start!

 

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人生の春休み―祝福を祈ります!

今週、スーツ姿のお母様と制服を着た生徒さんをよく見かけました。

卒業式だった高校が多かったようです。

ご卒業,おめでとうございます。

最近は、高校の卒業式に保護者の方も出席されるのですね。

私は、両親と一緒に学校に行ったのは、高校の入学式が最後でした。

後は、どうぞ、ご自分で…という感じでした。

そして、卒業式の後に、入試と合否の発表も待っていて、何とも落ち着かない、とりあえず…の卒業式でした。

高校を卒業して、4月に新しい生活にはいるまで、しばらく時間があると言う方がおられるでしょう。

これは、本当に、貴重な時間と言えます。

お父さんお母さんに,ご飯を提供していただき、厳しい勉学からも今しばらくは解放されて、次のステップに進むまで、自由に過ごすことができる!

このような時間は、人生ふりかえってあんまりないです。

社会人になってからは、毎日,することが山のようです。

ひとり暮らしを始めたり、結婚したりすると、家の用事がいっぱいあって、特に三度のご飯を支度する人は、365日休むことはありません。

どうぞ、今,与えられている「人生の春休み」を大切に、どうぞよい時をお過ごし下さい。

祝福をお祈りいたします。

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誕生日を憂える方へ

寒い日が続きますね。風邪が大流行で、娘のクラスはついに学級閉鎖になりました。

皆様、いかがおすごしでしょうか?

さて、2月は、私の周りに誕生日の方が多いのです。

母,義母、夫、夫の双子の弟、そして、娘!

そして、娘の誕生日は今日でございます。 続きを読む