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人生、自分が望まないことをする時間はない!

山の日っていうのが出来たんですね。
夏休み中なので、あまりインパクトがない休日ですが、でも、ある人たちにとっては忘れられない日に違いありません。
御巣鷹山に日航機が墜落したというのが、山の日の原点にあるからです。
日航機墜落事件の記憶はだんだん薄れつつありますが、私にとっては別のからみで記憶に残る日となっています。
やはり、人の命とからんで。

私の祖父はこの日、危篤になって、その年の8月15日になくなりました。
「じいちゃんが危ないんだって!」という知らせが入って、父とは母、即刻病院に行きました。その直後、見ていたテレビ放送が中断されて突然テレビ番組がすべて変更になって、御巣鷹山に飛行機が墜落裂いたらしい、という知らせが入ってきました。
他人事とは思えぬ、大惨事でした。
時々刻々と伝えられる惨事の様子に恐怖を覚えました。

ですから、この山の日または旧盆が近づいて、御巣鷹山の飛行機事件のことが報道されるたびに、この時のこと、そして祖父のことを思い出すのです。

私の祖父は小学校の校長をしていました。けれども、今で言う早期退職をしました。
今ではリストラとか、いろいろな事情で早く退職をするという人もおられますが、当時ではとても珍しかったそうです。
なんで、早くに学校を辞めたかというと、絵を描きたかったからなんです。

祖父は「雪嶺」という名で絵を描いていました。
小学校の教科書では「世界一の豪雪地帯」と紹介されるところに住んでいましたので、「雪」の名を入れてもちっともおかしくはないのですが、この「雪」は、日本画家(水墨画家)の「雪舟」にちなんで付けたもののようです。

雪舟は、室町時代の人ですが、子どもの頃、寺の小僧をしておりました。
しかし、お経はちっとも覚えず、絵を描いて遊んでばかりいました。
それを見かねた僧侶は雪舟に、「今後、一切、絵を描いてはならぬ」ときつく言い渡しました。
けれども、雪舟は絵を描くことを止めることが出来ませんでした。
とうとう僧侶は、お仕置きとして、本道の柱に雪舟を縛り付けました。
雪舟は悲しくて、涙を落としましたが、思わずその涙を足の指につけて、ねずみの絵を描いてしまったというのです。
そして、このねずみの絵は素晴らしい出来栄えで、本物のネズミと見間違うほどのものでした。
それ以来、僧侶は雪舟が絵を描いても何もいわなくなったそうです。

この雪舟にあやかって、絵を描くことに集中するために、小学校の先生を辞めたらしい・・・のです。

祖父の描いた絵は今もたくさん残っていて、実家の床の間に飾ってあったりします。
そんな絵を眺めていると「人生は短いのだぞ、好きなことをして生きろ」と語りかけられているような気がするのです。
人生って、本当に短い時間ですね。それも、いつ終わるかわかりません。
乗っていた飛行機が突然墜落して・・・なんてことも考えられないことではありません。

好きなことだけして、遊んで暮らせる―などと甘ったれた考えを提唱しているわけではありません。
人に頼まれたことや、キライなことばかりして、そして、それを環境や人のせいにして、
自分が願ったことがひとつも出来なかったというのは、残念なことです。

10年後、「あんなことして失敗したなあ・・・」と思うより、
「あれをやっておけばよかったなあ」と思って悔いることの方が多いのではないか、と思います。
悔いのない日々を、私も!

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2016年の言葉―ポスト・トゥルース

やまだです。

いまさら、言うのも恥ずかしいくらいのタイミングですが、

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

2016年の12月31日と2017年1月1日は、くっついているんですが、

ものすごい断裂があるのを感じますね。

2016年のことを書こうとすると、ものすごい抵抗がありますが…

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忙しくて、野菜不足ぎみの方へ―クリスマス愛餐会の人気メニュー【冬野菜のマリネ】

クリスマスから一変、お正月へ!

「クリスマスおめでとう!」という挨拶を交わす間もなく、

辺りは一変してお正月の飾りつけへ変身しましたね。お見事!です。

スーパーおよびショッピングモール勤務の皆様、お疲れ様です。

とにかく、日本は早すぎる!(って、外国に住んだことはないんですがね)。

キリスト教会の暦では、12月25日から1月6日までが降誕節という、まさしくクリスマスのお祝いの期間になります。

1月6日は、公現日(こうげんび)と言って、東から三人の博士が宝物をもって幼子イエスを礼拝したことを記念する日となっています。

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遠くの愛と平和より、近くの愛と平和を

あんまりTVを見る暇がなくて、世間ずれしているのではないか…と心配な山田です。

あと10日で、米国・大統領にトランプさんが就任、SMAPは解散、だってことぐらいは知っているけど。

ニュースは、ラインとかで済ますことが多いです。

海外事情は、BBCNews よく読みます。

(あ、もちろん、日本語で。)

今年も、シリア問題にとっても心が痛みました。

アレッポの町の様子 http://www.bbc.com/japanese/video-38337504

今週、和平が成ったということで、新しい局面に入ったと報道されています。

この地に平和がおとずれるように、そこに住んでいる人が、戦争の恐怖から一日も早く解放されるようにと祈らずにはおれません。

とまあ、祈るのはいいけれど、そんな自分に問題を感じないわけではありません。

遠くの平和を願うことは、やさしいのです。

また、なんだか自分が立派な人間になったみたいな気がして、悪い気もしない。

でも、それだけでは、平和を生み出す努力としては不十分だと感じるわけです。

あなたに出会った人が明るくなって帰ることができるように

20世紀の聖人にして、ノーベル平和賞も受賞しているマザーテレサは言っていました。

「あなたは、カルカッタの町に来て働かないとだめ、ということはないのです。あなたの身の回りで出来ることがないか、よく考えて。」

「親切で、いつくしみ深くありなさい。

あなたに出会った人が誰でも、前よりも気持ちよく、明るくなって帰ることが出来るようになさい。

親切があなたの表情に、まなざしに、微笑みに、温かく声をかける言葉に、表れるように。」

大切なのは、今、ここでの愛し方と、平和を生み出す努力だということです。

私が今日、出会った人が明るくなって帰ることができるようにするなんて、ささいな事かもしれません。

けれども、このようにして、ひとりひとりから生まれる愛と平和しか、世界の平和を生み出さないと言うのも、紛れも無い事実でしょう。

聖書も言っています。

「平和をつくる者は幸いです。

その人たちは神の子どもと呼ばれるから」(マタイの福音書5章9節)

そんな、私になりたい、と思う昨今でした。