娘が通う中学校から、知らせが来ました。
「学校再開に向けて」というタイトルでありながら、中身は5月31日まで臨時休業を延期するお知らせでした。
ああ、もうだめだ…
まず、親である私が、色んな観点から、絶望感に包まれました。
娘は中3、受験生。
私の人生観から15の春が人生最大の分岐点、一番大事な時…と言い続けてきました。その中3のスタートがこれ。
元々勉強が好きではない彼女は、勉強なんか、ぜんぜん、ひとりでできるはずがない。
塾に行っている子もいる。緊急事態宣言で閉鎖しているようでありながら、近くの塾は結構、開いている。3密を避けるために、ドアが開けっぱなしになっているので、中が丸見えだったりするんです。
(いろんな理由で)塾にも行けない彼女とは、どんどん差がつくに決まっている。
学力だけの問題じゃない、
大好きだった部活、友達と過ごす休み時間、憧れの彼がいる教室の前をドキドキしながら通り過ぎる体験、みんなで食べる給食、新しいクラスでの委員決めや活動、楽しみにしていた修学旅行…全部、失われてしまったのだ。
政府が、コロナ対策として真っ先に休校処置をとったのは、子どもたちに対する保証が不必要だから、政府の決断が早かったのだ、とも言われています。
これを聴いた児童、生徒の諸君! 激しい憤りを感じることでしょう。
俺たちの青春、かえせ=!!
本当に、失われた時は絶対戻って来やしない。
どんなに激しい言葉で相手の責任を追及しても、そして、保障してくれてお金積まれたって、失われた時は返ってこないし、上記の出来事は起こりはしない。
そう思うと、本当に心が痛む。
それから、将来のことを思うと不安しかないでしょう。
塾に行けて、タブレットもあって、塾や配信されてくる授業コンテンツを受け取れるような環境にある子たちは、まだいい。
でも、みんながそうじゃない。
コロナショックで環境が変わって、もうこれ以上ひとりで勉強できない-自分が思い描いていた将来が、夢が、行きたかった学校が…遠のいていく、もうだめ…。
ホントにこの状況は追いつめられるね。
そんな、君のことを覚えて、私はとにかく祈ります。「私たちとともにいて下さる神の助けと祝福」を信じて。
「もうだめだ…」って涙を流すあなたのことを、イエス様は、決して忘れない。
君たちができる最善の事は
「今」をしっかり生きること。それしかない。
「失われた時」のことを話しているが、時は止められない。どんどん流れてくる。
その「今」をどうやって生きるか、それが最大の課題です。これは、若い人たちだけではなく、すべての人にとって平等の課題です。
今をどう生きるか。
これ以上、無駄だったと思うようなことをしないように、今日をしっかり生きよう。
脳生理学者によると、人間の脳は[mind wadering]と言って、今に集中していない、アイドリング、いわゆる脳エネルギーの拡散に60%ぐらいのエネルギーを使っているらしい。これが標準の脳なのだそうだ。
例えば、今、数学をしているのに、頭の片隅で「国語もやらなくっちゃ」って心配してしまうこと、これがマインド・ワンダリング=心がさ迷い歩くこと=エネルギーの拡散。
どうにもならない無駄な心配事に6割ものエネルギーを使っている、って…考えようによったら、この状況は、もったいない。そして、もはや数学をしているとは言えない。明らか国語の心配をしている!
これを止めよう。
数学をしている時に、国語のことは考えない。心配しない、ということです。
もう、これ以上頑張れないのだから、手を休めよう。
無駄な心配を止めよう。それを止めたら、余分なことをに使っていたエネルギーが、今を生きる力としてめぐってくるはずだ。
そうやって、「今」を生きていこう!
あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。(マタイの福音書6章34節)
私は、疲れて行き詰ったときに、よくため息をつきます。
そうすると、周りの人が「ため息なんかついて…どうした?」って言うんです。
私の答えは、これです。「新しい息を吸うために、ため息ついてるんです!」って。
ため息ついていい!新しい空気を吸うため。
涙、流していい!!イエス様にぬぐってもらうため。
心配事と一緒に、深いため息をついて、新しい空気を胸いっぱいに取り込んでください。
祈っています。
やまだ