散らされて拡がれ!—ウィルスよりも力強く

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「現場礼拝からWeb礼拝へ?、移行?」

そんなこと前からしてるよ…って教会が、たくさんあると思います。

先進的な教会—歴史的に言うと、後発の新しい教会は、20年も前からビデオ礼拝と称して、すでに行ってきたことだと思います。

例えば、20世紀初頭に生まれたペンテコステ派の教会は、当たり前のように行っていたはずです。そういう事例を20年前から見てきました。

そういうグループは、コロナショックは、やはりそんなにショックじゃないはずです。毎週、配信されているWebコンテンツを使って、同じように小さな人数で、またはご家庭で、今日も礼拝しているはずです。

かく言う私も、ペンテコステ派。

生まれも育ちも、そして現在の働き場も、ペンテコステの教会、です!

訳あって、今は単立の教会になってしまい、ペンテコステ派の教会らしからぬ装いになってはいますが、生まれは変われないし、育った過去も変えられない。教会のみんなもそのつもり。

「嫌だ!」ってけんか別れしても、自分の中身まで変えられるはずはないですから。

というわけで、基本的に神学はそのまんまなんですね。(興味のある方はこちら。普段は全くアクセスのない頁で、私が書いたものです。最近、紀要説教21号に収録されました。 教会をつくる信徒の神学―聖霊論的思索

「ペンテコステ派って、やばいグループなんちゃう?」って言う人は少なくない。

よく「ヘンテコステ」なんて揶揄されてました。悲しいことに「ペンテコステ嫌いなんだよね」…面と向かって、今までも何度も言われてきました。

変だという理由は

異言を語る(宗教学では舌がかりと言われる現象で、知らない国の言葉を突然発音する)人たちで、癒しとしるしを行う人たちで、うるさい賛美と祈り声をあげる熱狂的な人たちで…

と、ごもっとも。その通り。

けれども、それだけではペンテコステ派の特徴を表面的に、そして一部しかとらえていない、と私は思うのですよ!

私が着目する一番の特徴は、ペンテコステ派の人たちは、当時あった教会を飛び出して、教会を作った—ということです。

つまり、既存の教会制度を否定したんです。だから、教会論が、オーソドックス(東ローマ教会ではなくて改革長老教会)の人たちとは違う。

じゃあ、何をどう考えているかというと、、、聖霊の働きを強調します。

信じる者たち一人ひとりに聖霊が注がれる。だから、聖霊を受けたひとりひとりは、小さなキリスト(キリスト者)となり、祭司(神との和解のとりなしをする者)、預言者(神の言葉を語る者)となる!って、信じることができる。

たとえ試験に合格して按手を受けたちゃんとした牧師がいなくても、教会の営みができる、というわけです。

だから、教会を飛び出せた→教会組織を壊した=めっちゃ迷惑な存在。

だから、「ヘンテコステ」という仇名がついた。

ペンテコステ派の強さ

そのペンテコステ派が20世紀初頭に地上に現れて100年経ったあたり1999年頃、21世紀はこんな世界になる、あんな世界になるみたいな…世界を占うような本が山と出たんだが、

イギリスのアリスター・マクグラスという神学者が、「21世紀に残るのは、カトリック教会とペンテコステ教会だろう。改革長老系の伝統的なプロテスタント教会の教勢は衰えるだろう…」って書いていました。

あれから、20年ちょい、経ったけど…現実味を帯びてきているんじゃないかな、と思う。否定できない!

ペンテコステ派の人たちはとにかく熱い。だから、当然変だと思われる確率が高いのだと思います。

でも、ペンテコステ派の強さは人間的な「熱心」だけではない。

人間の「熱」だけなら、冷めるし、終わる。

とりあえず100年続いた。混乱と過ちを犯しながらも世界中に広まった。そして、もっと拡大するという予感がキリスト教会全体にある。

彼らの強さは、「神の霊による拡散」です。(きっぱり!)

ペンテコステ派の由来は、これです。

聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで私の証人となります。使徒の働き1章8節

五旬節の日になって、皆が一つ所に集まっていった。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らの家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、皆が聖霊に満たされ、御霊がはなさせてくださるとおりに、他国の言葉で話し出した。(使徒の働き2章1-4節)

五旬節の日=ペンテコステという横文字になります。教会では、イースター、クリスマスと並ぶ祝祭の日です。

このペンテコステを境に教会は誕生して、主の福音が著しく宣べ伝えられるようになったというわけです。

ポイントは「拡散」です。

拡散という言葉は、今ではTwitter でめっちゃ一般的になって、ネガティブな印象を持つ人は少ないかもしれないが、これは、あくまで中立的な言葉であると受け止めておく必要があります。例えば

ウィルスの拡散 デマの拡散  ×特大

福音(よい知らせ)の拡散 ◎

パンデミックは地球のグローバル化によってもたらされたひとつの驚異です。本当に恐ろしい勢いでCovid-19は拡散しました。わずか4か月で、地上の多くの人を命を奪った。人びとを先行きの見えない不安と死の恐怖の渦の中に叩き落した。そして、2000年あまり続いてきた現場礼拝のほとんどを解散させたんですよ。

デマも迷惑ですね。もっともらしく人に近づくから、要注意。インターネットを流れてくる洪水のような情報に、日々もみくちゃにされている私たちではないでしょうか。

「拡散」は、ものすごい可能性と力を帯びています。それは、よくも悪くも、です。

聖書は、ペンテコステ以降、信徒が散らされたことによって、福音が広まったということを証言しています。

その日(ステパノが殉教した日)エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの処置用に散らされた。中略 散らされた人々は、み言葉を宣べながら、巡り歩いた。(使徒の働き8章1節、4節)

初代の教会が効果的に、福音を宣べ伝えることができた要素として挙げられるのは、ローマ帝国内に整備されていた道路網の存在です。

当時、「地中海はわれらの池」という感じで、ローマ帝国は、エルサレムを含みイスラエル地方をも支配していました。最強の軍事力を誇るつローマ帝国は、軍隊を速攻送り出せるように、道路網を帝国内に整備していました。「すべての道はローマに通ず」というやつです。

初代教会の信徒のみなさんは、帝国内にどこいでも散らばってその道路を巡り歩いて、散って行ったわけです。

迫害を避けて散らばって、やがてはそこに住み着いて、その先々で福音を、自分たちで語るしかなかった。使徒はいないから。

今、インターネットという世界中に張り巡らされた情報の道路網によって、福音も拡散される可能性は十分ある—というわけです。

残る疑問はこれです。

聖霊はどこに宿るのか?

聖霊はインターネットを介して流れていくコンテンツに宿るのか?

Twitterのリツイートボタンをポチって押すと、聖霊の働きで拡散したことになるのか?

ってところです。

興味深すぎる聖書の記述はこれです。

パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。(使徒の働き19章12節)

手ぬぐい、前掛けに聖霊が宿って、悪霊を追い出している―のか。

聖霊というお方はどこにでも入り込まれるらしい。よくわからんが…

手ぬぐいやエプロンよりは、Webコンテンツには人の気配が著しいから、聖霊が働かれる可能性は大きい、ような気がする。

しかし! やはり何といっても「神はわれらと共にいます」お方である。

手ぬぐいよりは、人ともに。

だから、コンテンツをリツイートしまくれば、伝道が爆発的に進むだろう、という安易な結論は、説得力に欠ける。

散らされたところにいる「人」に神の霊が臨むとき、地の果てででも、キリストの証人が立ち上がるのです。

なので、大切なのは信徒の皆さん、あなたです。

散らされた先で、ぜひ、神の霊の助けを求めて祈ってください。そこに、教会ができます。でも、できたら、ひとりじゃなくて、2人がいいですね。それは、聖書的な根拠があります。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなた方が地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりがどんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父は、それをかなえて下さいます。ふたりでも三人でも、私の名において集まるところには、わたしもその中にいるからです。マタイ18章18-20節

日本では家族みんなで礼拝に行く、というのは一般的な光景ではない。女性一人が家族を置いて教会の礼拝に来ている、というのが典型的な感じ。

そういう姉妹は、教会から配信されるWebコンテンツをどう使われるのだろうか。

これは、私からの挑戦状です、家族と一緒に見てほしいんです。

教会堂に旦那を連れて行くよりは、ハードルが低いのではないだろうか。本当によい伝道の機会です。

それから、ぜひ、家で声に出して讃美歌を歌ってほしいです。家族に迷惑がられるようだったら、配慮した方がいいですが、礼拝ですもの、声を出して歌いましょう!

そういうあなたと一緒に、神がおられるし、そこに教会が出現する!というのが主イエスの約束です。

ぜひ、チャレンジしてください。私も、最良のコンテンツとみ言葉の説き明かしを送るように努めます。

今、教会堂の留守番をしている私は、教会堂に誰も人が来なくなって空っぽになっても、あまり心配していません。

きっと散らされた先で、みんな礼拝している、って信じて祈っています。

また、お会いしましょう!

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