先日のこと。
他人様にはまったく関係のないことですが、私が愛用していたサンバイザーがなくなったんです。
自転車通勤なんですが、雨の日も、日差しが強い晴れの日も、このサンバイザーが欠かせませんでした。
もう、何年使っているでしょうか。だいぶよれてはきましたが、まだまだ使えるよね、どうせ、自転車で猛ダッシュしているおばちゃんのサンバイザーがボロでであろうと、高級品らしかろうと誰も見ちゃいないし…ということで、長らく使っていました。
おかげで、この夏も余計な日焼けをせずに、目立ったシミの増加もなし。感謝、感謝。
雨の日になぜ、サンバイザーが必要かって?
それはですね、雨合羽をかぶる前にサンバイザーを被っておくと、顔が濡れなくっていいんですよ。
ホントに重宝していました。
ところが、昨日のこと。
行ってきまぁす、あれ? サンバイザーがない!!
「職場においてきたんちゃう?」と旦那。
「いや、絶対持って出た。はっきり覚えてる。え~。ないないない!!」
「家の中にはないよ。どっかに落ちてるかもよ、探しながらいったら?」
えー。絶対無理。自転車で25分の道のりに、それも行く道と帰る道、微妙に違うのに。見つけられるはずないし。大体、落ちてる帽子をだれかがとっといてくれる?
遅刻しそうになったので、不安満載で家を出ました。
まだまだ、強い日差しの残る秋の日。私のサンバイザーどこに行ったぁ!!心の中で叫びながら家を出ました。
いざなくなってみると、その物への愛執が、不思議とわいてくるのは私だけでしょうか?
「新しいの買えばいいや」とは思えず、
「どうしても、あのサンバイザーに戻ってきてほしい!!」と思えてくるのです。
道も、半分を過ぎたころ、昨日、あの辺で電話かけたよなあ、その後、落ちたのかも…などと思いつつ、昨日の帰りはあっち側を通ったか、と思いつつ、大きな幹線道路の向こう側に目をやった瞬間。
あった!
見つけたときの喜びと感動ったら、ありませんでした。
それも、どなたかが気遣って下さったようで、歩行者専用道路にあるポールの上にちょこんとのせておいてくれていました。おかげで踏みつぶされることもなく、そのままの姿で私の手元に帰ってきました。嬉しかったです。
私と一緒に喜んでください!!
この体験で、すぐにルカの福音書15章「失われたもののたとえ」を思い出しました。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
新改訳聖書 ルカの福音書15章4-7節
100匹のうちの1匹がいなくなったって、まあしょうがないか、とあきらめませんか?
ところが、この羊飼いはあきらめない、と。
これは、父なる神の愛になぞらえています。神さまの愛はとても具体的で、迷い出たひとりを愛して、多大なる犠牲を払ってでも、そのひとりを探し求める愛をお持ちだというのです。
人間の価値を、人はいろいろ計ります。このたとえ話が語られた背景もそうです!
さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。新改訳聖書 ルカの福音書15章1-3節
取税人や罪人(って、いやな響きですけど)-イエス様のそばにいる人たちのことを、宗教家のパリサイ人や律法学者と呼ばれる人たちは、見下していたのは、間違いない。
その空気が伝わってきたところ、イエス様はこのお話をされたのです。
「君たちは価値がいない、劣った奴らだ」と思っているかもしれないが、それは人の判断であって、神さまは違う。父なる神様は、迷子になって道を踏み外しているそのひとりを愛して、探されるお方なのだ、と。
他の人から見たら、よれよれのサンバザーで、メルカリでも売れないことでしょう。
しかし私にとっては本当に大事なものでした。この思いで日記を書いたことで、いよいよ愛着が増したかもしれません!
私たち人間も、神さまから見たらそうなのです。宝なのです。
人は言うかもしれません、「こいつは役に立たん」「あれはダメなヤツだ、使えない」など…
しかし、神さまにとっては決してそうではない。
もし、見つかったら(神様のもとに帰ったら)
神さまは、大喜びされる。「私と一緒に喜んでください!失っていたものを見つけましたから」
サンバイザーを失くして…そして、見つけて。神様の愛を知った秋の日でした。
とさ。