ケアレスミスが多くて(集中力がなくて)お困りの方へ

ケアレスミス(凡ミス)の悲しみ

年のせいにしたくないんですが、最近、ケアレスミスと言いますか、凡ミスが多くて困っています。

私だけじゃなくって、傍から見ていて、気の毒になるくらい、凡ミス=ケアレスミスを起こす人。おられますよね。

ごく簡単なことで、誰でもできることを、失敗してしまうんですね。

1回くらいなら、「この次、気をつけて下さいね」くらいで済むんですが、何回も同じ間違いを繰り返すと、悲惨なことになります。

ひとりで仕事をしているのでしたら、自分がその結果を引き受けるだけで済みますが、みんなで一緒に仕事をしている場合には、

評価が悪くなる。

上司に叱られる。周囲からも冷たい目で見られる。

孤立してしまう。

そして、過度の緊張から、また、間違えなくていい間違いをしてしまう…などという悪循環に陥ることも考えられます。

嗚呼!(*´Д`*)

いやぁ~!もう、絶対に間違いたくない! 失敗したくない!!って

誰でも思いますよね。

それでも、凡ミスしてしまう。なぜ?

なぜ、凡ミス=ケアレスミスは起こるのでしょうか?

ケース1 テストの時のケアレスミス

受験シーズン真っ最中ですがね、この時期になると、自分が受験生だった時のことを思い出します。

私、中学3年の時、前の席の男子に

「お前、ケアレスミス・女王だな」って言われてました。

私、この頃からすでに、ケアレスミスが多かったんですよ。そして、むっちゃメンタル弱かった。当時の私の口癖は「どうしよう…」だったらしく。

それも、前の席の男子に指摘されてました。”(-“”-)”

不安がいっぱいなヤツでした。

たから、テストの時は最悪で、いわゆる「頭、まっ白」状態。全然、力を発揮できないばかりか、できるところまで落としてしまう。

緊張しすぎて集中できていないわけです。あるあるですよね。

嗚呼!集中力が欲しい。

ケース2.悩み事が多いと、凡ミスをします。

いつもは難なくこなしているのに、今日は、様子がおかしい…と思って、仕事終わりに話を聞くと、たいてい、家族のことや子供のことなどなど、心配事があったりする。

凡ミスの陰に、あるあるです。

この場合も、簡単な作業をしながら、またはいつもと同じように馴れた仕事をこなしながらも、心の片隅で心配事がこころにひっかかって、思い煩っているので、注意力が欠けているわけです。

典型的なのが、失恋直後に仕事ができない!ってヤツです。

もう、そういう時は仕事を休んじゃったほうがいいんじゃないかな?

精神的なショックは、作業能率に大きくかかわることは、よっく知られていることです。

ケース3.年をとると凡ミスが増える!?

凡ミスが増える原因の最後。加齢!!

はっきり言って、これは、どうしようもない。確かに、年齢が上がるにつれて、物覚えが悪くなり、物忘れが早くなり、凡ミスが増える。

凡ミスを減らすためには・・・

果たして、これら3つに代表されるような集中力の低下による凡ミス=ケアレスミスはもはどうしようもないのでしょうか?

私も年齢が上がるにつれて、凡ミスが増え、余計に思い煩いも増え、今に集中できないという悪循環に陥るのことを一番恐れています。

ケース3の年をとるのはどうしても避けられないけれど、ケース1と2の課題は心の持ちようで、大きく変わるかな、って気がします。

とにかく、今に集中する!ということです。

そういう意味では、瞑想(マインドフルネス)、ヨガの呼吸法などは、今の自分に集中することを訓練します。そうすると作業能率が上がることが、証明されているようです。マインドフルネスは、アメリカの大きな会社では社員訓練としてすでに取り入れられている事実もありますので、集中力を高めるには有用な方法のようです。

特にお金もかかりませんし。

仕事を始める前に、1分でいいので何も考えないで、自分の呼吸にだけ集中する。基本はたったそれだけです。できるようになったら、いろいろバリエーションがあります。本屋で売られている、気に入ったガイドブック1冊読めば十分でしょう。

さて、聖書は、今に集中する方法は教えてくれないですが、今日のことに集中して生きることの大切さとその根拠ははっきりと示してくれています。

あなた方のうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さな事さえできないで、なぜ他のことまで心配するのですか。

ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紬もせず,織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装わせてくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。

あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

あすのための心配を、人はいろいろしますが、確かに、全然役に立たないです。「どうしよう…」って何百回言っても、何にもなりませんでしたよ。中学生時代のわたしがそうでした。

むしろ大切なのが、その日、その時の生きる課題をしっかりと受け止めて行うことこそ大切なのです。。

今日に集中して、生きること!です。

今に集中して生きれば十分であることの根拠は、神が私たちを尊い存在として、こよなく愛してくださっているから、野の花以上に、空の鳥以上に良くしてくださるから、ということ。

これもまた、とても喜ばしいことです。

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