神は乗り越えられる試練しか与えない

神は乗り越えられる試練しか与えない

これは、聖書の中にある有名な言葉で、信仰者の間でも愛されて来た言葉ですが、
最近、夏の瀬いのさんが、漫画をTwitterで発表して話題になっています。
私もとってもいいと思いました!

漫画:神はーーー乗り越えられる試練しか与えない
https://twitter.com/stylish_gorilla/

百聞は一見に如かずで、漫画見てもらえば、解説はいらんのですが。

天から声が響き渡ります。
「神は乗り越えられる試練しか与えません。」
そして、天から荷物が降ってきます。それぞれの力量に合わせた試練ということでしょう。
すると、ひとりの人が頑張って持ってはみたものの、なかなか重くて、しくります。

すると、周りからヤジのようなものが飛びます。
「サボってんじゃないの」
「最初は持ててたじゃん」
「乗り越えられる試練なのに」
「本気だしてな」・・・

きつぅ。この声はめげますね。

すると一人の人がやってきて、落ちた荷物を拾い上げて、こういいます。
「僕らがどんどん成長するのは、他の人の分も持てるように」
「僕らが一人じゃないのは助けてもらえるように」

そして、
「神は乗り越えられる試練しか与えない、みんなで」
とドヤ顔で言います。

ほんとに。アーメンですよ。

この作品を描いたの動機として、夏の瀬さんは、

「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を唱えてる人たちが、こぞって1人で頑張ろうとしてて、個人的にはすごく不思議だったので、私なりの解釈を伝えたかったです。

と語っています。
うーん。こりゃ、教会の人たちへの批判ですね。ちゃんと、受け止めないといけないですね。
ひとりで、一生懸命耐えて頑張って、乗り越えようとして。
周りから見たら、ある種、意地っ張りみたいに見えるのでしょう。

さらに、 ――描く上で心がけた点は

「神は乗り越えられる試練しか与えない」という考え方自体は好きですが、自分なりの解釈も混ぜてしまっているので、元の考えが否定的にならないように気をつけました。

とまで、語っています。
ものすごい、配慮ですね(脱帽です)。

この聖書の言葉は、いろんな場面でいろんな風に解釈されて、愛されています。
特に「試練」の受け取り方が、様々です。

元々の文脈では、「試練」は人生の苦しみ、苦難、重荷ということではないと思います。
どうしても、そのように解釈されがちですが。
「試練」は神を信じることができるか否か、それを試される、ということです。

人生において、いろいろな苦難、麺豪なこと、病気などに遭遇することでしょう。
けれども、それらはみな、乗り越えられるものです。
極端な話、死を迎えるまでは、必ず、過ぎ去っていきます。超えていくのです。
どんなに低空飛行でも、どん底でもです、必ず、それは過ぎ去ります。
ですから、ほんとに極端な話、その人が神を信じていようといまいと、苦難は必ず過ぎ去りますし、超えていくのです。

で、一つの傾向として、苦しいさなかにあればあるほど、人は、神を呪う傾向があります。
「神様がいるなら、なんでこんな目に合わなけりゃならないんだ」
「神も仏もあるものか!」
苦しい時ほど、神離れするものです。

ですが、神を信じている人たちよ、そうならないように・・・と、この言葉が教会に書き送られました。

ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙1 第10章13,14節)

注目すべきは、立っていると思う者へのメッセージになっていること。

みんなで!

夏の瀬さんの作品にいたく感動したのは、最後の「みんなで」というところ。
これは、図星ですよ。
試練を一人で耐えることはできないです。

私も、教会で生きているから、今日まで神様を信じて生きてきたと思います。
みんなとの信仰生活がなかったら、とっくに、信仰はなくなったと思います。
たぶん、自分勝手な神礼拝に走ったと思います。
自分の欲望を満足させるために、神を利用するでしょう。
特に、苦しいことが多ければ多いほど、
この問題を解決してこそ神! 的な信仰になるんじゃないかな。

だから、私にとっては、そうならないための戒めの言葉でもあります。
私にとっての、試練脱出の道は、教会ー信仰共同体・みんな―なんです。

神様をちゃんと神として敬うために、
みんなで励まし合って、
みんなで、重荷を負い合うことが大切です。
聖書の元々の文脈でもそうです。
試練は、個人の問題ではありませんでした。
神の民(みんな)としての信仰が問題になっています。

ですから、立っていると思う者は、倒れている人の重荷をもって、立ち上がらせる。
こうしてみんなで立ち上がり、成長していくー
こういう教会。いいですね。

でもね、言うは易し、行うは難し。
重荷を負い合うって、なかなか大変なことですよ!
大変だからこそ、価値もあるのかな。

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