教えてもらう幸い

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実感:教えてもらうってありがたい

50の手習いなんて申しますが、最近、また、まったく新しいことを始めました。

右も左も、まったく分かりません。いくつになっても、分からないことというのはあるものだなあ・・・と思いましたが、さっぱり分かりません。

あまりに分からないので、ちょっと、知り合いの方に「家庭教師」になって頂きました。

そうしたら、わかること、分かること、理解ること・・・。

今までは自己流でやっていたので、着眼点も間違っていました。自分が気にしていたことは些細などうでもいいことで、他にきちんとしなければならない重要なことがあったり、手本とすべきものがちがっていたり・・・。

この年になってですが、教えてもらえることのありがたさ、きちんとした情報を共有することの大切さを改めて体験しました。

現在は情報過多な時代ですが、情報弱者なんて言葉もありまして、有益な情報をキャッチできない人たちは、生きていくうえで、不利になるということがいくらでもあります。

要するに、知らないと損をする、ということです。

これは皆さん知っていると思いますが、社会保険料は給料から天引きされて、年金を積み立てていきます。けれども、これは、一定の年齢に達したからといって、自動的に支給されるわけではありません。社会保険庁に請求しないと、年金は支払われないようになっています!なんで?と言いたいですが。

「知らないと損!」というコラムがあるくらいですよ(東洋経済オンライン)。読むと「へーっ!」というようなことばかりです。経済活動(お金のことを含み!)生きていく上で役立つ情報はたくさんあります。

人間はよい情報を共有することで生きる生き物!?

私たち人間は、生きていくために必要な情報というのを常に必要としています。

これは仮説ですが、人間は原始の頃から有益な情報を共有することによって生き延びてきた、というのです。

人類の歴史は飢餓との戦いの歴史でもありました。

定住して農耕文明が発達するまでは、自然に生えている物を収獲することによって生きていました。それがなくなってしまうと、たちまち飢餓に見舞われるわけです。そんな時、旅人が通りかかり、「あっちの方にはまだ木の実がなっている。肥沃な土地がある」と教えてくれる人があったとします。

その情報を頼りに、人は移動し、食べ物にありつき生き延びることが出来た・・というのです。

この仮説の前提は、人間はよいものを共有することで生きてきた、という興味深い趣旨です。

ふむふむ、なるほどなあ、と思います。また、そう信じたいですね。

旅人はその部落の人たちを全滅させようとして、嘘っぱちの情報を携えてきた悪人である、なんてことをいちいち疑って生きていくのは大変しんどいことです。けれども、現実には、このインターネット上に流れている情報も、いつだって、本当であるか、嘘であるか、吟味しなければならないです。

教えてもらう幸いというのは、確かに存在します

教えてもらうことで、確かに私たちの人生は豊かにされます。

私が教会に通うのも、いろいろと教えてもらえることがあるからです。なんと言っても教会で教えられるのは、罪と死についての克服でしたが、死に関することだけではありません。教会では、生きることも教えられます。

教会に集うようになって、もう四半世紀が過ぎていますが、本当に色々と教えられます。今は、一応、教師と言う立場ですので、教える立場にあるわけですが、それでも、周りの人から教えていただくことは多いです。

教会のひとつの特徴は、全世代の人がいる、と言うことです。生まれたばかりの赤ちゃんや小学生、青年、お母さん、お父さん、会社経営者の人、雇われる人、自営業の人、第一次産業従事者の人・・・お年寄り、病院や施設で死を迎えようとしている人まで、実に様々な境遇の人たちが集います。

私が今いる教会はとても小さい人数の集まりですが、それでも確かに全世代の人間がそろっていますね。

様々な人が、ひとつの共同体を造るというのが教会のひとつの特長でしょう。考えてみるとそういう共同体はなかなかないです。社会というのは、どうしても輪切りにされるところです。

同じ学力の人、同程度の能力の人、会社の部署に行けば、同じ仕事をする仲間・・・という具合に、何かしら共通点があるものです。しかし!教会と言うところは、実に変わっております。ただ一つの共通点は、神に召された者の集まり、イエスを救い主と仰ぐ者の集まり、ということです。あまりに大きなくくりですから、さまざまな人がおられます。

そのような教会に集う様々な人たちを見つめながら、「結婚ってこういうものなのかなあ」とか「ああ、私も50歳になったら、こんなおばさんになるんだなあ、」とか「こういう人になりたいなあ」とか、「病気で闘病生活をするって、本当にたいへんだなあ」とか、自然に先輩たちから、教えてもらってきました。人生の見通しとでも言うものが示され、教えてもらってきました。

今は、もういい年になってきましたので、「私に倣う者となりなさい!(コリント人への手紙第一4章16節)」と言えるような人間像が出来上がっていなければいけない年になってしまいましたが・・・。

教えてもらわなければ・・・と思っていることは何でしょうか?それが見つかるとよいですね!

 

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