こころのアンチエイジング=感動すること

ヨガ教室で

先日、例のヨガ教室に行きましたら、(ブーティバーではないクラスですが…)

先生が、自分のヨガポーズを自撮りしてました。

よくFaceBookやInstagramで、ヨガポーズをアップされてる方がおられますよね。

逆立ちしてたり、手だけで体重支えて、腰は地面から浮いていたり、体がぺったりふたつ折れになっていたり・・・あれです、あれ、あれ。

自撮りするということは、タイマーかけて、数秒以内に定位置について、そしてあの困難なポーズを決める!と言うことです。

これは、かなりの修練を積まないとできないことです。

先生がしてたのは、「孔雀の羽のポーズ」とかいう上級者にしかできないポーズでしたので、余計に「こりゃすごい!」って感動しました。

毎日、1枚ずつアップしているそうです。いよいよ、すごいと思いました。

「先生、私撮りましょうか?」って言ったら、じゃあお願いします、っていうことで、一枚だけ撮りました。

自分で撮るより、やっぱり撮ってもらった方がうまく撮れる、と仰って下さいましたが、私の写真撮影の技術はいかがなものでしょうか。

感動がありますか?

さて、最近、みなさんはどんなことに感動しましたしか?また、涙を流しましたか?

そういえば、ここ暫く、涙なんか流していないなあ、と言う人もおられるのではないでしょうか。

年をとると、どうも涙が流れにくくなるようです。

私も、小さい頃は泣き虫で、よく泣いていた記憶があります。

でも、大人になると、自然にあまり泣かなくなりました。

よく言えば、成長して落ち着くということでしょう。

でも、言い換えれば、心は強く固くなり、ちょっとしたことでは、心が動かなくなるということです。

年を経て、様々な経験と知識が豊かになればなるほど、すでに知っていること、すでに体験したことが増えて、新しいことではなくなりますから、人生の新鮮さは減ってしまうということでしょう。

また、経験を積んで自分が優れていると決め込んでいる人は、他者のすごいところを見落としがちになるので、感動する機会を失いがちです。

驚きもないし、疑問に思うこともない。

感動のない生活――それは、つまらない生活です。

いちいちきゃーきゃーいわれるのは確かに面倒だし、会議とか議論で反対されたからといって、いちいち泣かれたすればそれは困りますけど、喜んだり涙を流したりする体験というのは、とっても人間らしい大切なことだと思います。

神さまも泣かれました

主イエスは、友人ラザロの死に際して、墓の前に立って、激しく動揺し、憤りを覚え、そして涙を流されました。

私たちの神は、動揺し、涙も流される神です。

死とは無縁の神でありながら、ひとりの人間の死に際して、その惨さと悲しみを受け止めて、涙を流されたのです。

また、神が本当に死ぬべき人間に深い憐れみを寄せておられたからに他なりません。

そして、我々人間よりも死の正体を知り、死の恐ろしさを感じ、理解していたのではないでしょうか。

我々人間のほうが、死に対して鈍感なのです。

鈍くなることをそのまま放置しない方がいいな、と思います。

感動することは、いわば、心のアンチエイジングとでも言うべきものでしょうか。

外面上のことを気にして、アンチエイジング対策をされる方はとっても多いです。

内面のアンチエイジングはいかがでしょうか。

心のみずみじしさ、しなやかさ、やわらかさ…を保つ練習も必要かな?

日常生活の中にある、小さな驚きを見つける心のアンチエイジング

Let’ start!

 

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