こどもだけでもお店に入って食事をすることのできる、いわゆる「こども食堂」が、善意ある方々の尽力で、全国で展開されています。
この背景には、食事をきちんと取ることのできないこどもが増えている、と言う事情があります。
この豊かな国で?こどもが十分に栄養がとれていない?
信じられないことでしょうが、栄養失調のお子さん、近年増えているそうです。
給食だけが栄養補給の唯一の機会、という生の声も…私も、身近なところで、聞かないわけではありません。
夏休みなど、長期の休みの時は、どうするのか、ホントに心配になります。
また親の帰りが遅いので、ひとりで食事をしなければいけない、という事情のこどもも少なくありません。
そういうこどもたちをケアしたいという思いから、こども食堂を始める人たちがいるのです。
鳥のから揚げ
うちの2軒隣は、お弁当屋さんです。
鳥のから揚げがとっても美味しいお店で、我が家も、時々夕飯のおかずにしております。
多分、そこで起こった出来事だと思いますが、あるひとりの女の子が、
「あたし、お隣で、から揚げもらったことある~」って、言い出したんです。
「へえっ~、もらったってどういうこと?」
「ずいぶん前だけど、朝から何にも食べてなくて、友達とおなかすいたねって、お弁当屋さんの前で、じっーと見てたら、おじさんがから揚げくれたんです。」
そりゃ、「朝から何にも食べてない」なんて、幼稚園くらいのこどもが、お弁当屋さんの前で言ったら、店主さん、から揚げのひとつやふたつ、くれますわ。
いやいや、そういう店主さんが居てくれて、ほんまに、よかったですわ。
こども食堂、本日開店。
毎週、日曜日、教会学校にこどもたちが来ます。
居心地がよろしいらしく、朝の礼拝の時間が終わると、「これから本番」と言う感じで、遊び始めて夕方までおります。
いつの間にか、お弁当をもってくるこどもたちも現れましたが、
何も持ってこないで、しかし、家に帰ることもせず、一日中、教会で過ごしてしまう子もいるようになりました。
お昼を過ぎると、
「おなかすいた、何か食べるものある?」「せんせい、なんか作って。」
親しくなったこどもたちは、遠慮なく言ってきます。
「じゃあ、200円で食堂しようか?」と言ったら、
「わーい、食堂だぁ、200円なら食べる!」と結構よろこんでいたので、
今週、初めて有料で「こども食堂」を開きました。
メニューは「鳥のから揚げ」+おひたし+中華スープ+ご飯というシンプルなものでしたが、
まずは、夕方まで、持ちこたえたようです。
永遠のいのちに至る食卓
食事には重要な意味があると思います。
単に、身体にとっての栄養補給というだけでなく、心の栄養も補給される大事な場です。
親しく話しながら、喜び楽しみながら、感謝しながら頂くといのが、望ましい食卓の姿だと思います。
私たちの主、イエスも地上におられたとき、町や村を巡り歩いて、様々な人たちと食事をともにしたという記事が聖書に残されています。
当時の宗教家たちには、大食漢の大酒のみと非難されていたようですが、主は食卓で人々と交流するのを喜びとされました。
また、人々も、食卓で主イエスに出会い、体の栄養補給どころではなく、永遠に朽ちないいのちの糧を頂くことになりました。
うちの小さな食卓からも、そんな豊かな恵みが溢れてくれれば、と祈り願っています。
私がイエス様に出会えたのは子供のころに通った日曜学校でした。こども食堂の試みは、先生方はなかなか大変だとは思いますが、今すぐ結果はでなくても、必ずいつかその子供たちの人生の糧としてイエス様が導いてくださると思えるのです。どうぞ頑張ってください。
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ありがとうございます。まかれた福音の種が豊かに実るようにと、祈りつつご奉仕させて頂きます。
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