お香との出会い
昨年の夏、9歳の娘と、お線香にはまりました。
随分、老けた趣味だわね…という感じですが(笑)
「蚊取り線香に火をつけた~い!」という火遊びレベルから始まって、
実家に帰ったときに仏壇の前にあった、お線香の香りに誘われて、
色々なアロマがついたカラフルなお線香たちに興味を持った、というわけです。
アロマセラピーは今でも大流行ですし、日本には聞香という文化もあります。
なかなか奥深い世界で、私も興味を持ちました。
プロテスタント教会とお香
私が所属するプロテスタント教会(新教)の宗教儀式の中でお香を焚くというのは、見たことがありません。
(もしかすると、生い立ち的にカトリック=旧教に一番近い、聖公会とかルター派の教会では、お香を焚く場面があるのかもしれません。今度、知り合いの牧師に確かめてみよう…)
でも、ぐるりと見渡すと、宗教儀式の中で、香を焚くのはよく見られます。
仏壇にお線香をお供えするのはもちろん、カトリック教会でも、ギリシヤ正教会でも香を焚きます。
旧約聖書の中では、祭司は香を焚くことを永遠の定めとさえされています。
我々、プロテスタント人は、「抵抗する人」と言う意味で、とても理知的なところがあるので、
「煙にまかれるような信仰」に抵抗して、香を焚くのを止めたのかもしれません。
これは、これは私の勝手な想像ですが。
と言うわけで、今まで、私はお香とは全く縁がなかったのです。
お線香1本分の祈り
色々と興味を持ったのですが、まず気になったのが、お線香の燃焼時間です。
一般に売られている短寸と呼ばれるお線香の燃焼時間は25分です。
香りはどのようなものであっても、どれもこれも25分です。
これは何を意味しているのでしょうか?
25分間、お仏壇の前で手を合わせることが求められているのだそうです。
これは、慌しい日常から離れて、雑念が鎮まり、祈りに集中するまで、おおよそ25分はかかる、と言うことでしょう。
これは、たとえ宗旨が違っても、人間の心の動きとしては共通することではないかと思います。
試しに使ってみましたが、程よい時間でした。
座って、雑念を鎮めて、神の言葉である聖書に集中して、祈る―ちょうどお線香1本分!
おまけによい香りがあると、集中する助けにもなる。
というわけで、お線香は優れものです。
おまけに、昨今の忙しい生活に配慮して、ミニというサイズかあって、これはすべて15分です。
忙しい朝に、25分も座るのは無理だが、15分なら…ということで作られたそうです。
これらのことは、恐らく、仏教の僧侶たちの知恵と経験の産物だと思いました。
25分(または15分)の祈りがもたらすもの
毎日、この時間をもつことでもたらされる益があると思います。
昨日「不満を持つ方へ」で書いた、自己省察の助けにもなります。
すでに信仰をもっている人であるならば、その信仰を強め、成長へと導く大切な時間であるはずです。
祈るということは、神さまの前に出ているわけですから、日曜日と同じように、本当の自分を取り戻す聖なる時間でもあります。
お線香1本分の時間を神に祈ることで、私たちの人生は確実に豊かにされていきます。
悩みがある時はもちろん、日々このような時間を持ってみてはいかがでしょうか?