あなたの回りに、いつもボヤいている人はいませんか?
何かにつけて、不満の多い人…です。
女子会やママ友の集まりなど、親密なところで、共感できる愚痴のこぼし合いになる場合はいいですが、不満の多い人は、およそ敬遠されますね。
でも、私は、不満の多い人の話を聞いていると思うんです、
「相手の欠点に、よくそんなに気がつくなあ」って。
ほぼ、感心します。
私って、ぼんやりしすぎでしょうか?
不満があるということ=悪 ではないと思います。
不満があるというのは、今の状態には満足できないということであって、理想や向上心がなければ生まれてこないものです。ですから、大いなる成長の可能性を秘めている、ということではないでしょうか。
ただ、その不満のベクトル(方向)がどこに向かうかということが、重要だと思います。
誰かのせい?
今、あなたが抱いている不満のベクトルはどこを向いていますか?
不満の矛先が、他の人や環境など、外に向いているときは、あなたの口から出てくる言葉は、他の人を攻撃する言葉だったり、責任転嫁の言い訳に聞こえたり、周囲からはかなり聞き苦しい言葉が多いでしょう。
〇〇のせい! とか、
あの時、〇〇があったからだめだった、という言葉です。
この言葉を使い続けている限りは、不満はなくならないばかりか、せっかくの成長の機会を失っていると言えます。
変えるべきは自分自身
誰かのせい、なにかのせいにしても、事態は変わりません。
人は何といっても、傷つきたくありませんから、自分が悪いということは、本能的に避けてしまうものです。
ですから、何かしらに責任転嫁をしながら、不満を言い続けるというのは、よくあることです。
でも、正直に、その不満な状況から脱出したいのなら、自分を変えることです。
他者を変えようとするのではなく、自分を変えることです。
仮に、100歩譲って、この不満な現在の状況が誰かのせいであることが、100人の口によって断言され、裁判官によってそのように判決が下されたとしましょう。
しかし、状況は同じです。
自分の人生は、自分で生きていくしかないのです。
ましてや、完全無欠であるはずのない私です。
自分を変えることによって、状況はいくらでも改善していくはずです。
傷つくのは嫌だけど…
自分の過ちも認めましょう。
これは勇気が要りますね。でも、誰かに聞かせるような反省文を発表する必要はないのですから、気楽に自分を振り返ったらよいと思います。
不満のベクトルを自分に向けて、自分を変えるのです。
できることで、やっていないことはないか?
やらずに、あきらめてしまっていることはないか?
ひとりで奮闘しているつもりになって、自分で協力を拒んでいないか?
不満を言いつつも、内心は「実はもうこれでいい」と思っている、不実な自分ではないか?
など、考えるべきことは、人それぞれにたくさんあると思います。
不満のベクトルが自分に向き始めて、この思考が動き始めたときには、不満はあなたを成長へと導き始めているのに気がつくでしょう。
そして、必ずあなたの口からは、他者を非難する言葉、愚痴、責任転嫁の言い訳などの不満の言葉が消えていくはずです。