お酒の話し

大宴会の思い出

私が小学生だった時、毎年、お盆になると、母の実家の秋田に行きました。

母の兄弟とその家族、(私からすると伯父さん、伯母さん、従兄弟たち)が集合し、おじいちゃんとおばあちゃんを囲んでの大宴会が開かれました。

お盆ですので、ご先祖様もお迎えして・・・と言うことになりますかね。

家は農家で、あきたこまちを栽培して、にわとりも飼っていました。(今考えると、あれは高級・比内地鶏だったのか!?)

そして、おじいちゃんが「めんこい、めんこい」と言って、毎朝、餌をやって大事に育てたうちの一羽が、私たちのために命を捧げて、だまこ鍋の主役になるのだった!(だまこ鍋は、秋田名物として知られるきりたんぽ鍋の家庭料理バージョン。ご飯をつぶして団子にした「だまこ」を鍋に入れる)

秋田と言えば、米どころ、酒どころ。

美味しいだまこ鍋を囲んで、お酒を酌み交わしながら、この大宴会は、夕方から、夜遅くまで続く。

子どもだった私は、さっきまで生きていた鶏がこの鍋の中にいるのかと思うと、グロテスクで箸も付けられず、自分がさっき作っただまこなら大丈夫と、それをちょいちょいとつっついて、ご馳走さま、と言う感じだったが、母は一年ぶりにあった兄弟と、お酒を飲みながら延々と、楽しそうに話していたのをよく覚えている。

宴会の喜び

食の細い子どもには分からないだろうが、大人には「特別な食事」の喜びというものがあるもの。

身近なところ、一日の労をねぎらう夕食がそれだ。子どもにはわからんだろうが、お父さんの一杯のビール、または晩酌には重要な役割があるのだ。

私が幼い頃に見た、田舎での大宴会。これもまた、1年の労をねぎらう特別な食事で、人生の喜びのひと時だったと思う。

聖なる方にお酒は不要?

お酒や宴会は、不品行や不道徳の原因となるのであって、聖なる生活を志す者にとっては不要だ、

と言う方も多いと思います。

記憶がなくなるほど飲んで、周りの人に迷惑をかけるなどと言うのは論外です。

健康を害するほど、飲んだり食べたりするのも、いけません。

同じ理由で、胎児や乳児に悪い影響を与える飲酒も、いけません。

未成年の飲酒、それから、運転前の飲酒も、命に危険を曝すことですから、認められません。

また、嫌なことがあったから、お酒を飲んで忘れよう、という現実逃避のやけ酒もよくありません。

現実から逃避したところで、結局、何も良いもの・新しいものは生まれてきませんからね。

「やけざけ」というのは、漢字で書いたら、「自棄酒」となります。

自分を棄てちゃあ、いけません。

お酒の害ばかりを並べましたが、お酒がまったく不必要で悪いものである、と言うわけではないでしょう。

ユダヤの田舎の結婚式で

イエス様が、ご自分が神の子であることをお示しになるために、一番最初になさった奇跡は、ユダヤの田舎のとある結婚式でのことでした。

当時のユダヤの習慣では、結婚式は盛大に祝われ、宴会が1週間も続きました。

これは、食事の用意がかなり大変ですね。

そう、案の定、宴会の途中で(何日目であったかは不明ですが)、ぶどう酒がなくなってしまったんです。

さあ、大変!

もてなしが出来ないとあっては、家の恥。幸先も悪い。

その時、イエス様が素晴らしい奇跡を行って下さいました。

水をぶどう酒に変えられたのです。

これが、神の子としての行われた最初のしるしであった、と聖書(ヨハネの福音書2章)に記されています。

「何も、神の子ともあろうお方が、酔っ払いに仕えて、水を酒に変える奇跡を行わなくてもいいんじゃない?」と思いませんか。

しかし、イエス様は、この結婚式を祝福されて、水をお酒に変えられたのです。

ひとつには、結婚と言うものが、祝福されるべき重大な出来事である、ということを示しているでしょう。

そして、それに花を添えたのが、人々が酌み交わす美味しいお酒だったのです。

 

山田晃美

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