必要な涙 ?
「必要な涙なんかありますか?」と言う声が聞こえて来そうです。
愛する人との別れ、死別―そんな時には、たくさん涙を流して下さい。
「居なくなってすっきりしたわ。ハンカチも要りませんよ」―身の毛がよだちます。
もし、愛する人を失ったのなら、その悲しみを、涙をもって十分に表したらよいと思います。
それは、まさしく必要な涙です。
またそれを見て、周りの人も泣いてくれるでしょう。
「あの人たちは、あんなに愛し合っていたのに、支えあっていたのに、死と言うのは,何と残酷なことだろう」そう言って、涙を流してくれるに違いありません。
これもまた、必要な涙です。私たちには慰めが必要です。
共感の涙こそ、慰めの出発点となる体験です。
不要な涙
けれども、同じ状況で,不要な涙もあります。
たとえば、後悔の涙です。「ああ、生きている間に、もっと寄り添って生きてあげるべきだった。もっと、こうしてあげればよかった」、と取り返しのつかない日々を悔いて、涙するのです。
どんなに泣いても、過ぎ去った日々は帰ってきません。
会うは別れの始まり、と言いますが、周りにいるすべての人たちとの関わりは永遠に続くわけではありません。「さようなら」と言って終わるのです。
悔いのない、最良の「さようなら」を告げることが出来るように、私たちは精一杯の一日を生き、人々を愛して生きるならば、このような涙は流さなくて良いのです。
これは、未然に防ぐことができる涙ということも出来るでしょう。
世界中に不要な涙が流され続けている!
世界中で、本来、流さなくていい不要な涙がたくさんあります。
戦禍に巻き込まれ、ふるさとを失った人たちが、世界中で泣いています。愛する人や愛する子どもを奪われたといって泣いています。
食べるものがなく、病気を治療してくれる人がなく、不安と恐怖におびえながら泣いています。
また、私たちの身近なところでもそうです。
私たちの国の生活は豊かで、ほとんど困ることがないように見受けられます。
しかし、若い人たちは、恋人や結婚相手を探す暇もないほど忙しく働いています。糧を稼ぐ仕事にだけ多くの時間を奪われて,社会保証のためにたくさん税金を納めながら、将来に希望を見出せずにいます。
教室では見えなくなったいじめが、ラインの中に入り込んで、子供たちや若者たちの心を傷つけています。
育児が上手くいかなくて、、、離婚したのでひとりで子育てしなければいけない、、、保育園や幼稚園のお迎えでは元気にやってきますが、心は本当にくしゃくしゃです!
子育てを終え、定年を迎えて、生きる目的がなくなって、自分の価値を見出せず、認知症になることばかりを心配しながら、淋しい時を送る…
一緒に泣いて下さる方、涙をぬぐって下さる方がおられます。
解決の道はないのでしょうか?この先もずっと、不要な涙が流され続けるべきでしょうか?
いいえ、断じて!
一緒に泣いて下さる方がおられます。そして、この方はあなたの目から涙をぬぐって下さいます。
また、もう不要な涙が流れないように、私たちの生活を変え、整えて下さいます。
この方をご紹介するのが、私の務めなんです!
◆つづく◆
山田晃美